松代群発地震50年特設サイト
地表現象・被害写真
牧内地区地すべり
1966年9月17日14時頃松代町牧内地区で幅100mにわたる地すべりが発生しました。数日前から地割れ(地すべり性)や多量の湧水があり、前日(16日)には降雨がありました。地割れの変化を測定していた地震研究所中村一明助教授(当時)から「変動速度が早くなり、地すべり発生の恐れがある」と説明が16日の午後、松代町長にあったため、松代町では16日の夜半に危険区域の住民に避難命令を出しています。家屋倒壊11棟等の被害はあったものの、人的被害はありませんでした。
牧内地区で起きた地すべり(1966年9月17日 14時頃発生)
地震の揺れによる被害
地震活動は、体に感じない地震を含めた総回数が74万回を越え、1日当たりの震度1以上の地震回数の最大は585回となっています。その中で最大の地震は、1966年4月5日17時51分に起きたマグニチュード5.4の地震であり、最大震度5を観測しました。当時は気象官署だけでの観測であったため、局所的には震度6を越えていた可能性もあります。これらの震動により家屋・塀の倒壊、家具の転倒などの被害がありました。単独の地震で壊れなくても、何度も繰り返し揺らされることにより、家屋の被害は大きくなりました。
松代町東部家屋の被害(1966年8月20日)
湧水による被害
1966年4月頃から松代町東条地区で地下水の湧出が始まりました。8月下旬になると湧水の範囲が広くなり、湧水の地点数と水量も急増し、4か月間で総量1千万トン程の水が流出したと推定されています。湧水ははじめ真水でしたが、次第に含有物を増していき、塩素イオンの多いものと、塩素イオンを含まない弱アルカリ性の水との2系統がありました。いずれも1967年~1968年頃から水量は減り出しましたが、含有物の割合は変化しませんでした。これらの湧水により、農作物は被害を受け、生育・収量に大きな損害をもたらしました。
松代町東条地区の湧水が発生した池
温泉井戸の自噴
1965年11月4日に長野県松代町加賀井にある一陽館旧源泉で、いままで枯れていた温泉井戸から25℃のお湯が突然出始めて、22日には33℃に上昇し、毎分80リットルも湧出しました。東条加賀井温泉一陽館の春日功氏の努力により、同温泉の湧出量と温度の測定が行われ、地震活動との関連が調べられています。また、松代地域一帯の温泉及び湧水成分の分析は、多くの機関によって行われました。
松代町加賀井にある一陽館旧源泉の温泉井戸の自噴
液状化現象(噴砂・噴水現象)
直接被害をもたらす事がなかったので、当時はあまり話題となりませんでしたが、松代群発地震では液状化現象だと考えられる噴砂・噴水現象が見られています。1966年4月5日17時51分に起きたマグニチュード5.4、最大震度は5を観測した地震で、須坂市村山地区では、地下水が10~15㎝位の口径で、高さ5㎝まで噴出する現象が10分間程度続きました。若穂町温湯地区では果樹園内2か所で泥水の噴出したことが報告されています。また、この地震の翌日、千曲川の河川敷で噴砂現象が確認されています。
須坂市村山地区の地下水の噴出
発光現象
松代群発地震では、多くの発光現象の観察記録が集められ、特に松代町東条の栗林亨氏による世界で初めての写真撮影例、10例(8例はカラー)が得られました。これらの資料は、発光現象を科学的に調査する上で貴重な資料となりました。松代群発地震は、最盛期には数分間隔で震度1以上の地震、数秒間隔で体に感じない地震が発生しており、発光現象と個々の地震との対応は明確ではありません。また、比較的規模の大きい地震の発生時あるいはその前後に、発光が強かったというわけでもなく、発光現象のはっきりした原因は解明されていません。
1966年9月26日03時25分奇妙山一帯 栗林亨氏撮影
地鳴り
松代群発地震は顕著な地鳴りを伴う特徴がありました。地震動を感じていなくても地鳴りだけを観測することもありました。
地震時の地鳴り音 (1965年9月8日 時刻不明)
再生後12~13秒にかけてゴォォと音が鳴ります。
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