松代群発地震50年特設サイト
松代群発地震に関連したできごと(群発地震発生~終息宣言)
昭和 | 西暦 | 月 | 日 | できごと |
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40 | 1965 | 08 | 03 | 松代を中心に微小地震が3回発生。 |
07 | 松代で初めて震度1を観測。 | |||
11 | 気象庁地震観測所(以下地震観測所)は3日以来観測されている微小地動が自然地震か、林道工事の発破による地動かにつき現地を調査を始める。 | |||
20 | 地震観測所は微小地震の頻発を気象庁本庁に報告。気象庁地震課は東大地震研究所に異常地震活動を連絡。 | |||
22 | 気象庁地震課機動班が松代町で観測を開始。東京大学地震研究所が松代町象山地区で高感度地震計を使い調査開始。 | |||
23 | 地震観測所は松代町長、松代警察署長に異常な微小地震を通知。信濃毎日新聞などが報道を開始。 | |||
09 | 08 | 地震観測所は地震に対する一般的心得を松代町民に解説。 | ||
10 | 01 | 松代と長野で初めて震度3を観測。松代町及び松代町隣接の市町村小・中学校で避難訓練を始める。 | ||
04 | 長野県(消防防災課)は、地方事務所長と市町村長に、当面の震災対策として避難場所の選定、避難方法、消火対策、水道・バス・通信施設の確保等について指示。 | |||
06 | 長野地方気象台と地震観測所は松代群発地震情報第1号を発表し、その中で地震状況及び震源域等を発表。 | |||
09 | 気象庁地震課は異常な地震活動であることから、在京の報道機関に情報を発表し解説。 | |||
11 | 松代町が地震対策本部を設置。 | |||
15 | 長野県は震災時の心得について県広報で一般に周知。 | |||
16 | 長野県は庁内地震対策関係課長会議を開催し地震対策について協議。 | |||
20 | 東京大学地震研究所が皆神山山頂で地磁気の観測を開始。 | |||
23 | 気象庁地磁気観測所は松代とその周辺で地磁気の観測を開始。 | |||
11 | 02 | 長野市が地震対策本部を設置。 | ||
04 | 松代で初めて震度4を観測。 | |||
10 | 長野県は関係地域の各戸にチラシ(地震の心得)を配布。 | |||
12 | 長野県消防防災課が総合的な震災対策を講じる。 | |||
15 | 長野県は松代地震対策連絡員を庁内に設け、夜間及び日曜、休日における関係機関などとの連絡、被害収集に当たる。 | |||
22 | 松代で震度4の地震が2回発生、松代町内に被害発生。 | |||
24 |
松代で震度4、長野で震度3、上田で震度2を観測。 松代町では壁のひび割れ、屋根瓦の落下などの被害が続出。更埴市内でも落石による窓ガラスの破損、市道の亀裂などの被害発生。 |
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26 |
政府は松代群発地震対策各省連絡会議を開き、地元民の不安をなくすため、学校改築予備費支出など5項目の対策を決定。 地震情報第2号を発表(発表官署は今後、長野地方気象台)し震度5を警告。長野県知事は、陸上自衛隊第13普通科連隊長に対し、松代町に自衛隊の駐在を要請。 |
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27 | 県警察は、本部と松代署に警備対策本部を設置。 | |||
28 | 陸上自衛隊は、松本駐屯部隊から松代連絡班(幹部以下4名、車両、通信機装備)を松代町に常駐、通信団から幹部以下23人を須坂市に常駐、第1ヘリコプター隊(霞ヶ浦)からヘリコプター1機を第13普通科連隊(松本市)に常駐。 | |||
29 | 長野県と地震関係市町村が「松代地震対策協議会」を設置。会長は長野県知事。 | |||
12 | 01 | 政府調査団(団長瀬戸山建設大臣)松代町を視察。 | ||
10 | 長野地方気象台は地震情報第3号を発表。最盛期の後半に入ったと観測。 | |||
16 | 参議院災害対策特別委員会が調査団を派遣。 | |||
27 | 長野地方気象台は地震情報第4号を発表。地震活動状況に特別な変化がみられないので、有感地震回数が減少するまでは引き続き注意が必要と警告。 | |||
41 | 1966 | 01 | 23 | 松代で初めて震度5(M5.1)を観測。長野で震度4を観測。松代、篠ノ井などで被害発生。 |
27 | 地震総回数が10万回を超える。 | |||
02 | 04 | 有感地震総回数が1万回を超える。 | ||
10 | 長野地方気象台は地震情報第5号を発表。震度5の可能性残ると注意。 | |||
29 | 長野地方気象台は地震情報第6号を発表。新しいエネルギーが補給され、震源域は広がると発表。 | |||
04 | 01 | 長野県が松代地震対策本部を設置。 | ||
05 | 松代で震度5(M5.4)を観測。(松代群発地震で最大規模) | |||
05 | 地震総回数が20万回を超える。 | |||
17 | 地震日回数6704回(うち震度1以上585回)を観測。(日回数最大) | |||
19 | 政府は総理府に「長野県松代町周辺地区地震対策連絡協議会」を設置。 | |||
20 | 政府の「長野県松代町周辺地区地震対策連絡協議会」初会合。災害救助法に準じた非常措置きめる。22日閣議で正式決定。 | |||
22 | 政府調査団(団長瀬戸山建設大臣)松代町を2度目の視察。 | |||
25 | 文部省測地学審議会地震予知部会において、「松代を中心とする地震についての情報発表は気象庁が行い、これに助言を与えるために、東大地震研究所・京大・国立防災科学技術センター・国土地理院・地質調査所および気象庁の専門家で構成する情報連絡会を気象庁に置く」ことを了承。 | |||
05 | 05 | 地震総回数が30万回を超える。 | ||
10 | 昭和40年8月3日以降松代周辺に発生している地震について、今後松代群発地震(略称松代地震)と呼ぶことに決まる。(文部省学術奨励審議会学術用語分科会地震学術用語専門部会) | |||
19 | 佐藤総理大臣と建設・自治・文部の3大臣、現地視察。 | |||
20 | 国立防災科学技術センター、皆神山麓に観測用深井(200m)のボーリング開始。北信地域地殻活動情報連絡会発足。 | |||
06 | 01 | 衆議院災害対策特別委員会が調査団を派遣。 | ||
06 | 参議院災害対策特別委員会が調査団を派遣。 | |||
14 | 地震総回数が40万回を超える。 | |||
22 | 瀬戸山建設大臣(長野県松代町周辺地区地震対策連絡協議会長)、参議院災害対策特別委員会で、地震科学研究センターを設置言明。 | |||
07 | 26 | 皇太子殿下が松代町御視察。 | ||
29 | 長野地方気象台は地震情報21号を発表。地震活動は小康状態にあるが群発地震の特性として再び活発化することも考えられると警告。 | |||
08 | 05 | 長野県は松代地震対策協議会と共催で「松代地震1周年講演会」を開催。 | ||
24 | 地震総回数が50万回を超える。 | |||
30 | 西沢知事、政府に「松代地震センター」の実現要望。 | |||
09 | 17 | 松代町牧内地区地すべり発生。11棟全壊。地震の2次被害。 | ||
19 | 長野県が松代地震地すべり総合調査班を発足。 | |||
22 | 長野県は地震対策地域44市町村を災害対策特別地域に申請。 | |||
10 | 09 | 松代町笠原西平地区で地すべり発生。地震の2次被害。 | ||
22 | 地震総回数60万回を突破。 | |||
26 | 松代地震政府調査団(団長:上村総理府総務副長官)、現地を視察。 | |||
42 | 1967 | 02 | 08 | 気象庁地震観測所内に松代地震センターが総理府、科学技術庁、気象庁、文部省、農林省、通産省、建設省、東京大、京都大、信州大及び長野県の協力の下に設立され、業務を開始。 |
21 | 地すべり学会主催による松代地震と地すべりに関するシンポジウムが長野市で開催。 | |||
05 | 07 | 倉石農林大臣が牧内、加賀井地区を視察。 | ||
06 | 30 | 長野県庁に駐在している陸上自衛隊松代地震予防派遣部隊撤収。 | ||
07 | 14 | 松代地震連絡員(宿日直)制度終了。なお、この制度は昭和40年11月15日~42年7月14日の間実施。 | ||
18 | 陸上自衛隊松代派遣部隊、気象庁地震観測所、東京大学地震研究所、旧松代町災害対策本部、旧松代町消防団、松代警察署の6団体に総理大臣顕彰。 | |||
11 | 21 | 松代群発地震解明のため人工地震による地下構造探査が松代地震センターを本部として大学、関係機関の協力のもとに地質調査所により松代地区を中心に10地区で行われる。 | ||
43 | 1968 | 03 | 15 | 長野地方気象台は地震情報第47号を発表。地震活動は昨年以来全般的に弱まりつつあるが、若穂、更埴、坂井、真田北部は発生回数がまだ多い。また、北信一帯にわたる地殻変動はまだ収まっていないので、まだ警戒の必要があると警告。 |
44 | 1969 | 03 | 05 | 国立防災科学技術センターが松代町松代荘敷地内にボーリング(2000m)開始。 |
05 | 31 | 地震総回数70万回を突破。 | ||
45 | 1970 | 01 | 15 | 国立防災科学技術センターが水圧入実験を開始。 |
06 | 05 | 長野県が松代群発地震終息を宣言。 | ||
16 | 長野県、各市町村が一斉に対策本部を解散。 | |||