長官会見要旨(令和7年1月17日)

会見日時等

令和7年1月17日 14時00分~14時50分

於:気象庁記者会見室

発言要旨

 みなさまよろしくお願いいたします。このたび第30代目の気象庁長官に任命されました、野村竜一と申します。どうぞよろしくお願いいたします。就任にあたりまして、若干時間を頂いて、心構えや目標などいくつか述べさせていただきたいと思います。
 まず本日は、平成7年兵庫県南部地震による阪神淡路大震災から30年目の日であります。この日に気象庁長官に就任したことに特別な意味を感じております。改めて亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、復興に携われたすべての方々に心より敬意を表したいと思います。私としましては、神戸はもちろんですけれども、これまで自然災害の被災地をいくつか巡ってまいりまして、犠牲者方々のご冥福をお祈りし、黙とうをささげてまいりました。例えば、男鹿半島の合川南小学校の13名がなくなられた海岸の現場、大阪府北部地震で女の子が亡くなられた寿永小学校の道、伊豆大島の土砂災害、もちろん、東日本大震災の海岸線、福島から青森までいろいろな場所にまいりました。それから、広島の土砂災害の現場にもまいりました。そうした場所で、黙とうをささげておりますと、気のせいか犠牲者の方々の声が聞こえてくるような気がいたしまして、それは、決して無念ではなくて、「残った人たちをよろしく」というような声が聞こえてきた気がいたします。そういう「想い」を胸に、この仕事をしていきたいと思っております。
 次に、気象業務を行う上での心構えとして、「自然に対して謙虚でありたい」と思っております。それには2つの理由がございます。1つ目は、やはり自然はあまりにも大きいということです。それに比べて我々はあまりにも小さい。飛行機の窓から外を見ると、山や雲は見えても、当然、人間は小さすぎて見えません。自然が一度キバを剥いたら我々はかなわない、そういう相手を対象に仕事をしているということを忘れないようにしていきたいと思います。それから、2つ目の理由は、自然はあまりにも複雑でそう簡単にはわからないということです。最近天気予報が良くあたるようになったと知り合いからも褒められることがありますが、だからと言って、自然をわかったつもりになってはいけないと思っております。まだまだ、わかっていない相手ですので、謙虚に監視して、現象の仕組みの究明を続けてまいりたいと思います。
 次に目標でございますが、我々の業務の最終目標は、自然災害で亡くなる方を極力なくしていく、ということです。しかし、それは我々だけではできません。住民の状況をよく知る市町村や県などの自治体、地域の防災リーダー、社会を支えるインフラ基盤の管理者、そして人命救助に当たる機関など、実際に住民のために働く地域の多くの担い手の方々に必要な情報を適時的確に出していくことで、我々の目標を達成したいと思います。そういう意味で、広い意味の地域防災支援というものを第一目標にやっていきたいと思います。具体的に求められることは、情報の精度、わかりやすさ、使いやすさ、いろいろな方々との日常のコミュニケーションなど、多々あると思います。その中でも、一度発生すると地域の方々に多大な被害をもたらす線状降水帯予測の精度向上を第一優先に、他にも台風、地震津波、噴火予測などの精度向上、情報改善に努めてまいります。
 また、少し内向きの話となるかもしれませんが、自分の立場について考えてみますと、庁内では自分は黒子だと思っております。もちろん方針や指示を明確に出していくということは大事なことで、しっかり行ってまいりますが、主役は現場の職員であると思っています。彼らが必要な仕事を効率的に実施できるように、組織の仕組みや環境を整えて、課題があればそれを見つけて変えていく、そういうことが自分の大事な役目だと思っております。また、社会の中で見ても、気象庁はある種、黒子だと思います。社会の多くの皆様が活動するための土台でありますし、また、これまで、皆様に踏まれながら育ってきたと思います。ないと大変ですけれども、ある時には気づかれないような、水や空気のような役目を果たしていければと思っています。
 最後に、本年6月に気象業務は150周年を迎えます。これまでの成果をしっかりと振り返って、関係してきた皆様には、感謝の気持ちを表しつつ、しかし、今、地域防災の支援業務が第一となっておりますので、この現在の形に、もし合わないところがあるのであれば、いろいろな課題を放置せず、それを今の時代に合うようにしっかり変えて、次の時代に引き継いでまいりたいと思います。
 私からは以上です。

質疑応答

Q:2点質問させていただきます。まず1点目なのですけども、改めてとなってしまいますが、長官就任にあたっての抱負であったり、この在任期間中に特に成し遂げたいとに考えていることがあれば教えてください。

A:まず、この150周年という機会もございますので、いろんな組織のあり方、全国の気象台の立地条件なども、明治の頃の設置の理由でそのようになっている部分もあります。組織のあり方を見直して今の時代に合ったように変えられればと思っております。それから、昨年の国土交通審議会気象分科会で確認した重要事項は、やはり長官が変わってもその重要事項は変わっていないと思います。具体的には、これまでやってきた線状降水帯の解明、精度向上と、地域防災支援ということについては継続するとともに、5つの強化すべき政策というものを示しています。台風情報の高度化、AIと協調した気象業務の強化、DX時代における面の情報への転換、例えば、今まで皆様が気温の分布がどういう状況か知りたいときにはアメダスの地点情報そのものをご覧なります。ある地点で観測したそのものは非常に重要でありますが、今いろんな推測・推定の技術がありますので、これを面の情報に直して、観測点がないところの方々についても、自分のところの状況がわかるようになるというような、面的情報への転換が重要です。それから気候変動。我々は防災の面も大事ですけれども、やはり社会のいろいろな方々に聞くと、地球温暖化どうなるのかという方や、農業で実際いろいろと予測に基づいて対策を立てたい方などさまざまいらっしゃる。そのためには、温暖化の予測データというものが重要だと思います。そういう方々が対策を取るための助けとなるように、より一層そういうところを強めていきたいと思います。そして、地震や火山噴火に関しましては、特に大規模なもの、南海トラフ地震、それからこの前行った降灰に関する検討会についても、やっぱり大規模なものを、これまで基本的なところは業務化されているとこもありますけども、大規模なものについて検討が始まっています。そういうところで、我々が何ができるかというところを見つけて、しっかりと業務を繋いでいきたいと思っております。

Q:2点目です。冒頭の発言でも触れられていましたけれども、今日阪神淡路大震災から30年を迎えました。この30年間で気象庁の地震観測体制というものはどのように変化・強化されてきたと総括をされているのか。その上で南海トラフ地震など今後起こる可能性のある巨大地震に対応していくために気象庁がさらに力を入れていくべき課題はどの辺にあると考えているのか認識をお聞かせください。

A:おっしゃる通り、今日で阪神淡路大震災から30年でございます。地震観測体制ということでは、この地震が起こる少し前に奥尻で津波がございました。それをきっかけに、全国で津波情報を出せるように、地震の観測網の充実を行っておりましたけども、その後、阪神淡路大震災が起こって、まさにこうした動きを加速して、量的津波予報というのは阪神淡路大震災の後に行われるようになりました。また、ご存知の通り、平成の10年代から緊急地震速報の実用化に向けてアイデアが出てきましたけども、地震の観測も緊急地震速報に対応するような形、つまり最初に地震計のところで計算をしてから情報を送ってくるような形に変えまして、平成19年に緊急地震速報が実用化されました。また、東日本大震災を受けて、津波警報の問題点もいろいろ指摘をいただいて、それに関する検討会も開き、改善してまいりました。それから緊急地震速報にも資するような海底地震計も他機関のデータもいただきつつ、日本全体として、地震観測網が非常に発展してきたと思っております。このほか、南海トラフ地震対策のスキームも出てまいりました、同じような仕組みの北海道・三陸沖後発地震注意情報も出てきました。長周期の地震動も緊急地震速報に入れるようになりました。特にこの導入には私も地震火山部にいた時に対応いたしましたけども、とにかく南海トラフ地震が起こる前にしっかりやっておかないと駄目じゃないかということで導入された経緯があります。いずれにしましても、この平成から令和にかけて、気象現場の発展はどちらかというと1970年代80年代がシステムの発展の中心になっていますけれども、地震については、まさに平成から令和にかけて、特に阪神淡路大震災などをきっかけに、大きく発展してきたと思っております。
課題への取組としては、緊急地震速報もそうですが、誤報を出さないためのいろんな取り組みをしています。先日の地震では津波なしの情報の後、津波注意報が発表されたりしましたが、これは物理的に致し方ないところもあるのですが、やはりよりわかりやすい誤解の内容な情報を出していくことが非常に重要ではないかと思っています。また、津波に関することについては、いつどのくらいの高さの津波が来るかという情報が欲しいということはありますが、一方で、いつ落ち着くのか、いつ注意報などを解除するのかということも求められているところで、昨年いろいろと検討してある程度の方向性は見えましたけれども、しっかりと根拠をもって情報をお伝えしていくということは非常に大変なことですので、そこを確実にしていくということが大事かなと思っています。

Q:はじめの長官のご挨拶の中で、今日は阪神淡路から30年で特別な意味を感じるとおっしゃられていましたが、当時ですね阪神淡路もし何か携われた、経験されたことが何かあれば印象に残っていることを教えていただきたいのと、その上でその特別な意味というところ何か具体的に感じるところがあれば教えてください。

A:当時、私は地震の担当ではなかったので、直接関わることはございませんでしたが、特別な意味という点のご質問ですけれども、災害の歴史を振り返ってみると、自然災害で1000人以上の方が亡くなるような災害というのは、おそらく伊勢湾台風以来だと思います。私が生まれたのは昭和39年ですが、昭和40年、50年代等々は、日本は天気予報も、地震や洪水に対するインフラも、非常にしっかりしてきたということで、これはもう科学技術の成果で、自然災害で人が大勢亡くなるというようなことは無いのではないかというような思い、これはある意味誤解だったわけですけれども、そういう気持ちになってきたところに、いきなり、この地震で6000人規模の方が亡くなるという災害が目の前で起こったということで、我々は、自然の猛威に対して、非常に無力であるということを痛感したのではないかと思います。ですので、やはりあの頃から社会全体が防災ということについて、非常に熱心に考えるようになったのではないかと思っています。そして気象庁も天気予報等を行うことは基本ではありますが、やはり防災の世界でしっかりとイニシアチブをとる省庁になっていこうという気持ちに切り替わったきっかけだったと思います。神戸の地震の後でも、非常にたくさんの方が亡くなる地震災害が平成10年代も起こりましたし、平成20年代には、東日本大震災が起こり、また熊本地震でも直下型地震として非常に多くの方が亡くなるなど、自然災害で人がたくさん亡くなるということが起こっています。社会も、我々も、政府全体も、防災についてしっかり考えるようになる中で、大雨に関する自然災害も温暖化の進展で増えていく可能性もあります。いずれにしましても、何かに備える、防災をしっかりやらなければならない、防災業務の活動に資するような情報をしっかり出さなくてはいけないという思いを、最初に持たせていただき、気づかせていただいた事柄だったと思っております。

Q:2点あるのですけれども、南海トラフ巨大地震の関係で先日の地震調査委員会で今後30年以内の発生確率が80%に引き上げられました。この点についてですね、国民にどう受けとめてどう備えてほしいかというところを改めてお願いいたします。

A:まず、数字が変わったこと自体は、統計処理上当然なのかなと思っております。地震が起こるという確率の分布が変わらないのであれば、1年後ろにずれるわけでございますので、数字が大きくなるっていうのは、統計上、これは自然なのかなと思っております。一方で、心構えといいますか、そもそも30年後までに起こる確率が何%という言い方は正しいのですけれども、私個人では、30年後にもう既に地震が起こってしまっている確率という言い方もあると考えています。要するに、確率が何%ですということよりも、起こることを前提に、いろいろ備えるということ自体は何も変わってはいけないし、気象庁においては、大きな地震が起こったときに必要な情報も充実化させていくことをしなくてはいけない。いずれにしろ、地震は起こるものだという前提で考えなければいけないということですから、そのことが数字よりも大事なことじゃないかと思います。

Q:もう1点、南海トラフの関連なのですけれども、先日8月以来2回目の臨時情報(調査中)が出ました。マグニチュード更新も何度かあって、結局調査終了となったわけですが、日向灘で一度大きい地震が起こるとその後地震が相次ぐというのは自然なことかと思います。特に日向灘は学者の先生によっては想定震源域内に含めるかどうかという議論もあるところだと認識しています。臨時情報がこの短い期間で何度も出されることによって国民が悪い意味で慣れてしまう恐れとかもあると思うのですけれども、今見えている制度の課題であったり、見直しのタイミングで何かお考えがありましたら教えてください。

A:冒頭でも申し上げましたが、まだまだ地震についてはわからないことが多い中で、しかしながら、社会的に影響が非常に大きいですから対策を立てていかなければいけない。それが地震に対する備えかなと思っております。地震の学会の中でもいろんなご意見があろうかと思います。しかし、国民に対して、何か一つ対策を立てるのであれば、何かを選んで、また関係する方々が多いですから、一斉にちゃんと行動できるようにしっかりとそれを構築していかなければいけない。今ある知見で最も確からしい、これが良いだろうというものを選んで、それに基づいて、国民が行動しやすい仕組みというものを作っていかなければいけないと思います。そうすると、その前提となるサイエンスのところで異なるご意見の方もいらっしゃるかと思いますけども、多分その議論が終結するまで待っていたら南海トラフ地震が起こってしまいますので、いろいろ議論があることは存じておりますけども、我々としては、政府自体も中央防災会議等で学者の意見の中でこれを取ろうと、みんなで相談して決めたわけですから、それに沿った防災活動に集中していくということが大事かなと思っております。それから日向灘を入れるかどうかということですけども、必ずエリアを決めるときには、端っこがありますのでこれは仕方がないことです。この前の評価検討会でも、しっかりとマグニチュードの様子を精査して、それで調査終了の結論を出したわけです。もっと大きいマグニチュードであれば、想定震源域内の他のところで連鎖して起こる可能性もあろうかと思います。こういうスキームをつくる前提である世界での大地震の発生の様子を見ますと、やはり予想しないとこでバーンと起こることもありますが、大きい地震が連鎖することもあるわけです。そこでこの辺関係ないのではないかということで外すということはどうなのかなという気はいたします。ですので、想定震源域の端っこの方だから、いろいろご意見あるかと思いますけども、あそこもフィリピン海プレートが沈み込んでいるところでもありますので、今ある制度に従ってしっかりやっていく必要があると思っております。

Q:2つ質問がありまして、一点目は先ほどの発言で、その地球温暖化とか農家の方のお声について触れられていたかと思うのですけれども、今後地球温暖化と異常気象とか、極端な気象の変化に関する情報発信の強化をより力を入れていく具体的な予定は何かありますか。

A:これまでも「日本の気候変動2020」や、今後「日本の気候変動2025」について、気象庁として文部科学省と協力して、気候変動に関する、特に地球温暖化を中心とする気候変動に関する日本の中での知見を集めて、今はこれが一番最もらしいだろうということを、しっかりと議論して皆さんに示していく、それはまず基本中の基本としてやっていきたいと思っています。社会においては温暖化に対する対策、適用策が求められていると思います。実際、温暖化は止まりませんし、かつ、今の状況からすると、我々が思っているよりも進むかもしれませんので、農業などをはじめ、対策を立てる方は真面目に検討されていると思います。それに応えるだけの地球温暖化の予測情報があるかどうか、また使いやすいかどうか、もし使いにくいことがあれば、改善して、適応策の中で我々のデータをもっと使っていただきたいと思っております。「日本の気候変動2025」などでの解説もそうですし、我々が持っている予測データなどを使って、皆さんでいろんな計算をして、自分たちの分野の今後の予測にも使っていただきたいと思います。また、そういう専門的にデータを使うまでではないけれども、自分の地域でどれぐらい温度が上がったり、どういうことが起こるのだろうということもあると思います。そういう元データもあると思いますので、本庁だけではなくて、地方にも組織ありますから、そういうところからもこれらのデータ利用に関する受け答えができるようにしていきたいと思います。これはまだ私の頭の中の部分でもありますから、庁内で地球温暖化の関係も含めた気候変動の情報提供等を充実させていこうと呼びかけて、発展させていきたいと思っております。それから、地球温暖化というと今問題になっているのは人間活動によって起こる地球温暖化の部分であろうかと思います。しかしながら、世の中の気候変動はそれだけで起こるわけではございません。ですので、温かくなったり寒くなったりしたときに、温暖化が起こっている、起こっていないということで、右往左往することはよくないと思います。その議論でやっぱり必要なのは自然変動、10年規模の自然変動がどうなっているのかということがわからないと、これが人間の影響なのか、単なる自然の影響なのかわからないので、その辺は非常に技術的に難しいところではありますけれども、解析だとか情報発信というのも、充実させるように方向づけていきたいなと思っております。これは非常に難しいので今までやってなかった部分ありますけど、難しいからやらないと、線状降水帯もそうですけど、逃げていたらいつまでたっても始まらないので、いろいろやっていきたいと思います。

Q:ありがとうございます。もう1点が国外で結構気候変動対策として、気候工学という学問をすごく研究されている動きが見られると思うのですけれども、あんまり国内で研究されている方はいらっしゃらないなと感じていて、気象庁として国として何かやっていく指針などがあれば教えてください。

A:気象の現象を使っていろいろ工学的なことをやっていく方はいろいろあると思います。風力発電もその一つだと思いますけども、我々やっぱり気象現象、起こっていることをしっかりお伝えしていく、もしくは起こるだろうということをお伝えしていくっていうのが仕事で、その気象現象を使って何か工学的にやるということ自体は我々の仕事ではないと思っております。ただ、そういう工学をやる方々が出てきて、気象情報が欲しい、もしくは使いやすいようにしてほしい、解説してほしいということであれば、そういうところは貢献できるかもしれないし、また気象庁だけではなくて民間の気象業者もそういうところ協力できると思います。だから、まずはそういう方々が出てきて何に悩んで何が欲しいのかっていうところは見ていくのかなと思います。

Q:先ほど冒頭で長官が自然に対して謙虚でありたいというふうにお話しになりましたけれど、そう感じるきっかけになった出来事をですね、これまでの瑠々お話になったこの現業の中にそれがあるのか、あるいは長官は理学部ご出身ということですけれども、学生時代や幼少の頃にそういうことがあったのか何か原体験とも言えるような出来事がもしありましたらお聞かせください。

A:1回でそういう思いになったという体験は思い起こせないのですけども、順々に思っていたというところが正直なとこです。私が気象庁に入ったのが平成3年です。平成の時代を振り返ると、まさに平成1桁代には神戸の震災があったわけですし、10年代には新潟等でもありました。崖崩れで車が潰れて、ご家族が亡くなり、男の子が救われたという話も覚えております。20年代は東日本大震災ということで、あまりにも自然災害にみんなが飲み込まれて大変だったというのが、私の気象庁時代とかぶるわけです。大雨についても、広島の豪雨であったり、それは伊勢湾台風ほどではないにしても、これだけインフラが発展して、天気予報もある程度当たるようになってきても、やっぱり自然災害で亡くなられる方がおられるその現実を見てですね、やっぱり我々小さい、いつまで経っても完璧に追いつかないっていうのは実感として持ってきました。そういう意味で総括して、あのような言葉にさせていただいたということでございます。それから私も地震火山部にもおりまして、やはり見えないところを探る話です。いろいろやっても、先ほどお話ありましたように学会ではいろんな御意見もあるでしょう。いろいろ言われます。でもそれでも、いろいろ兆しがあれば危険だということを、火山噴火もそうですけども、お伝えしていかなければいけない、不完全でも、不完全だからこそいろいろご批判もいただきながら、進めてきて、わからないことがまだまだたくさんあるということで、謙虚でありたいという言葉になったところでございます。

Q:2点あるのですけども、先ほどの気候変動の関連で去年とそれから一昨年、2023年と2024年というのは地球の平均気温が過去最高ということで、世界気象機関とかコペルニクスサービスとかそういうところは、エルニーニョとかいろんな要素があるにしてもかなり明確にその人為起源の温暖化が進んでいるということで警鐘を鳴らしているわけですけども、気象庁はあまりそういうことをやらない方だと思うのですが、この2年間の状況、その気温の上がり方というのを長官はどのようにご覧になっているのでしょうか。

A:非常にシャープに上がっているなというふうに印象を持ちました。特に、2024年の結果を入れたグラフ、報道発表したグラフをご覧になっていただいたかと思うのですけども、2023、2024はすごい勾配で上がっていますよね。数年単位でどうなるかを見ないと、その評価というのはできないと思うのですけれども、ただ上がり方が急なのは気になります。そして大気だけでなく、海洋、海洋の方が、熱容量が大きいですから海の変動というのは非常に意味があるのですけども、海洋の方も同じように上がっているということで、ちょっと上がり方は気になっております。そういう意味で我々の使命っていうのは客観的に起こっていることをしっかりとお伝えするということでございますが、単にデータとかグラフを示すだけでメッセージがないじゃないかっていうご意見だと思いますけども、そこで起こっていることはできる限りはっきりと伝えしていきたいと思っています。

Q:わかりました。自然変動もあるし、なかなかおっしゃりにくいとは思うのですけど、やはり長期的な温暖化の中での一つの出来事というふうに捉えてはいらっしゃるということですか。

A:防災で言う自分だけは大丈夫みたいな思い、今回だけは大丈夫みたいな思いにならないようにですね、急激な変化の一旦が見えたのかもしれません。そういう意味でも、この今後の温暖化の対策っていうのは十分大切だと言えると思います。もちろんCO2を減らすことも非常に大事ですけども、おそらくこのまま温暖化が進んでいくと思われますので、それへの対応を考える方々のために、必要な情報をしっかりと出していくという役割も充実していきたいと思っております。

Q:ありがとうございます。2点目は気象庁150周年で、明治以来の組織のあり方を見直すというお話だったのですが、気象庁の見直しというと、どうしてもスリム化とかですね、業務の簡素化とかいうことを思い浮かべがちなのですが、この見直しもやはりそういうより効率的に、より軽量効率化という方向を含めておっしゃっているのか、それとも今度その防災庁なんかができるとそことの役割分担なんかも出てくるかもしれないのですが、そうではなくてここだけは最優先して強化をするとか、メリハリみたいなものをかなり明確に頭の中で思い描いてらっしゃるのかそこのところを教えていただけますか。

A:今2つの案というか、考え方を示されましたけど、私の頭の中はいずれでもなくてですね、途中申し上げましたが、地域防災支援というのを第1に考えております。これまで数年かけてやってきた地域防災支援というものは、やはり避難指示を出す主体である市町村を中心に支援してきたわけですね。そして市町村まとめているのは県です。今回能登半島地震が起こりましたけども、防災対応を考える県の災害対策本部、県庁の中でいろいろ議論が行われますし、それから政府の現地災害対策本部も県庁に置かれて対応しています。それは広島の豪雨のときもそうでしたし、熊本の地震のときもそうでした。ですから、市町村を助けたいのであれば、やはり県をしっかり支援していく、また県庁を介して市町村を支援していくというのも大事です。そういう意味で、今回金沢地方気象台も県庁から歩いてすぐのところにありましたから、毎日台長が通っていろいろ対応することもできました。やはりその県のためにとって、一番うまく支援できる形になっているかどうかというのが、今の私の頭の中にある考え方です。もしそういう県庁に災害対策本部が開かれて、いろんな市町村の方々も集まって、そして政府からも支援を行う人がそこに集まっているというときに、そこにたどり着けないようであればそれは全く意味のない気象台です。また、平時ですね、各市町村訪れて、いろんな防災の知識、気象台がやっている業務の内容を説明するなどの地域防災支援もやっています。そういうことをやるのに非常に不便な場所にあってはいけないと思います。そういうような観点で今問題があるところがないかということも見たいと思っています。これはただ、いろんな事情もありますからそう簡単にいかないかもしれませんけれども、何もしなくていいのかというと、そうではないと思いますので、そういう点で見ていきたいと思います。

Q:冒頭の発言で線状降水帯の予測精度向上、第1優先というお話ありました。このところ歴代の長官も最優先課題、最重要課題と位置付けられていて、そういう意味では、あの路線を同じ踏襲されるということだと思いますけれども、一方で、現状の認識について伺いたいと思います。顕著雨情報が始まって4年ですか、それから半日前予測も、もう3年になろうかと思っています。この例えば的中率であるとか捕捉率含めたあたりも含めてですけれども、ある程度年数が経って気象庁が思い描く通りに順調にきているのか、それとも予想以上に困難な道にあるというふうにお考えか、まずちょっとそれを聞かせてください。

A:まず現状について、ご案内の通り、昨年の出水期については非常に成績が悪かったと思っております。また、その前の年、それは思った以上に良すぎたと思っております。そういう意味で、一昨年は実力ではなくて、あたりが出やすい現象のオンパレードだったのだと思います。逆に言うと、昨年は非常に厳しい点数が出る現象がオンパレードだったのかなと思っております。ただ、そういう言い訳に逃げてはいけないとは思っております。ただし、我々、いろんな指標を試してみて、どれが一番線状降水帯の発生に効くのかというところはやってはいるのですが、なかなかその相性がうまくいってない部分はございます。ですけれども、良くしていく方向性っていうのは、今の富岳を使った1キロのLFMでのいろんな試行的な計算結果を見たりしていると、答えの一部は見えてきているかもしれない、方向性というものは見えてきているかもしれません。それをしっかりと行って、精度向上に努めてまいりたいと思っています。決して成績が満足できる状況だとは思っておりません。課題はいっぱいある。やるべきことがあると思っております。

Q:先ほどから話が出ている組織再編というか見直しに関してなんですけれども、気象台のアクセスについてお話が出ていると思うのですけれども、これアクセスが悪い場所があると何か課題があるとなった場合に、どういうような対応を現時点で考えてらっしゃるのか、場所を変えるというのもなかなか難しいような気もするのですけど、現時点でどのようなイメージをされているのか教えていただけますか。

A:ますは、コロナ禍でオンラインの対応というのが広がって、これができるようになりました。それに社会が慣れてまいりましたので、オンラインの活用というのはまずは即効的にやるべきことかなと思います。例えば、県庁から離れている気象台ございます。そういうところから、県庁の災害対策本部会議で気象台から説明してくださいというときに、一つはオンラインでやるということがあります。ただ、実際、やはりその場に行くメリットというのが大きくて、それは会議中だけではなくて、会議が終わってからいろいろ担当者で話したりとかできますので、そういう意味では、職員を派遣する、例えば気象現象であれば、ある程度は予めわかりますから、先に職員を派遣してホテルに滞在したうえで、そこで対応するということもあろうかと思います。そういう対応でどうにか乗り越えていく。ただし、それは、私個人の考えの段階ですけれど、それは対症療法かなと思っております。ですので、将来的には県庁のそばに行くということも一つの選択肢だとは思います。ただ、それには県内のいろんな事情もあるでしょうから、いろいろ見ながら考えていきたいと思っています。

Q:1点目なのですけれども、そもそも気象庁に関心を持ったきっかけ、気象庁を志す原点となるようなものは、どういうご経験、ご体験がおありでしたでしょうか。

A:これは前長官の森と似ているのですけれど、私が小学生のころ育った川崎市の多摩区の施設で、友達が天気図の書き方を習ってきて、私に教えてくれたんです。ラジオを聞きながら天気図が書けるということにびっくりして習って書くようになったら夢中になってしまって、毎日書くようになりました。それで気象に興味を持ちました。それで高校に行っても理系を選んで、ただ大学行くときに迷いましたけど、このまま趣味で走っていいのか。趣味に行くと趣味がなくなると言われたので。でも、楽しくやらせていただいて、ここまで来ました。

Q:ありがとうございます。もう1つ気象庁職員になられて気象庁職員としての、良い意味でも、悪い意味でも、どちらでも結構ですけど、印象深いといいますか、お仕事というのはどういうものでしたでしょうか。

A:気象庁職員というよりは、気象庁にいてもいろんな省庁に出向することがございます。私自身は、大学でも気象学を勉強して、いろいろと数値予報などの世界で頑張っていきたいと思っていたのですれけども、ある時、外務省に出向することになりました。当時、気候変動問題、COP3が終わって京都会議終わった後、気候変動に関わる場所への出向でした。数値予報の開発しかやったこともなく、あんまり省庁のことを知らない人間が、いきなり外務省行って、決裁の上げ方もわからないような状況でしたから、毎日怒られてやっていたのですけれど、また国際会議というのも、行くともうほとんど寝られない状況で、政府代表団の対応をしたり、たくさんの対処方針をまとめたりなど、そういうことをやっていました。そこで本当に鍛えていただいて、それで多分今、ここに立つことができたのかなと思います。それで、私は寝るときには外務省に足を向けて寝ていません。それぐらい感謝しています。当時、私を鍛えてくれた方へは、感謝の気持ちを持って、いろんなときに挨拶に行きます。育てていただいた当時の外務省の方々には本当に感謝申し上げたいと思っています。

Q:あと最後に、答えやすい者だけで結構ですが、休日の過ごし方、趣味、座右の銘、好きな本、映画どれでも結構です。

A:私緊急参集要員だったので、ずっと正月も含めて、危機管理宿舎でしたので、ひたすら待機していました。だから、休日の過ごし方っていうのは、待機しているだけでした。その他は宿舎の付近の散歩でした。散歩ということでは、印象深いのは大阪で勤務していたころ、コロナ禍ではあまり繁華街に行けない状況でしたので、河原を散歩していました。大阪は水の都と言われていますけど、淀川沿いに、毎週2時間ぐらい散歩して、散歩終わったら次の週はそこからまた散歩してという形で、ずっと散歩したら河口から琵琶湖まで行ったことがありました。全く知らない土地、どこに何があるかもわからないような状態で勤務が始まりましたが、川をずっと遡るうちに、茨木市があって高槻市があってという土地勘も付き、淀川は滋賀県に入る前に山間地を通るのですけども、ここを通り抜けなかったら海には抜けなかったなと思うような地形も面白いなと思いながら、行きましたけどいろんな地理がわかって面白かったですね。だから何か目的もなく散歩するということが非常に得るものがあったし、大学のときは仙台にいましたけど仙台から横浜の自宅まで歩いて帰ったこともありましたけど、それも日常では得られないものを知り、感じることができました。何でもないことでありますが、そういった散歩でふつう得られないものが得られたなと思っています。

Q:いくつか質問出ていますが、阪神淡路大震災から30年ということに関連してお伺いします。一部調査ではこの震災全く知らないと答えた人がおよそ10人に1人だったということで、この震災を知らない世代も増えてきています。改めてですけれども、こうした大きな災害に対して持つべき意識それからどんな準備をしておくべきか、ということについてお願いします。

A:阪神淡路大震災の後は、建物が潰れることや物が倒れて来ることに対して、一生懸命そのことについて、対策をとろうとかテレビなどでも言われていました。その後、東日本大震災が起こると、大津波のことが一生懸命言われたところです。そうすると、高いところにすぐ逃げようと言ったようなことがありましたけれども、逆に言うと、津波への注意が叫ばれていても、それでもやっぱり建物の中で倒れてくるようなものの近くに寝てはいけないとかそういうことも忘れちゃいけないと思ったりしていました。だから、世間ではいろんな情報が発信されていますけれども、ある被害が起こるとそれに特化したものだけが非常に流布されるのですが、やっぱりバランスよく何が大事かということを自分で選択して、いろいろ見落としがないようにして、できることからやっていくということかと思います。災害というのは毎年毎年自分に降りかかるわけではないので、そのうちやってくることに備えることを怠り気味なこともあると思いますが、あんまり無理をせずできることから備えを始めることが良いと考えます。ちょっと話が飛ぶかもしれませんけれども、南海トラフ地震への対策も、津波が何十メートルも来るという報告書がありますが、報告書の冒頭には、最大のケースですよと書いてあります。もっと低い津波が来る地震というのは、当然頻度が多くなるわけです。だから、あれだけの津波が来るのであれば何をしても無駄だから何もしないということではなくて、もっと頻度が多いやや規模が下がる津波も想定し、できるところからやるということが大事ではないかと思います。最初から投げ出さないということが大事かなと思ったりしています。

(以上)